作品の魅力 森 立子(西洋舞踊史・音楽史)

 フランス・バロックをメインテーマの一つに掲げてきた北とぴあ国際音楽祭の舞台に、今年はついに、フランス・バロックの巨匠ラモーのオペラ《イポリートとアリシ》が登場します。

フランス・オペラの成立とラモーのオペラ

  「トラジェディ・アン・ミュジーク」、あるいは「トラジェディ・リリーク」(音楽悲劇)と呼ばれるフランス・オペラが成立したのは17世紀末。その立役者は、作曲家ジャン=バティスト・リュリと台本作家フィリップ・キノーでした。彼らのコラボレーションによる最初の作品《カドミュスとエルミオーヌ》(1673)がフランス・オペラの歴史をひらき、さらにその後に作られた彼らの十数作のオペラが、フランス・オペラの基本的な型を確立したのです。

 フランス・オペラの基本的な型――すなわち、@主題を悲劇に求め、A序曲に始まり、プロローグと5幕で構成される、というその型は、リュリの死後もオペラ作曲家たちによって遵守されていくことになります。マラン・マレしかり、アンドレ・カンプラしかり、そしてまた、ラモーもこの型を忠実に守っています。その意味で、ラモーのオペラは、リュリに始まるフランス・オペラの伝統の直系に位置付けられるものであると言えるでしょう。  
 
 しかし、ラモーの同時代人たちは、ラモーのオペラ処女作《イポリートとアリシ》を聴くや、これを「従来の作品とは一線を画すもの」、「オペラにおける革命」と捉えました。それは何故なのでしょうか。その最大の理由は、ほとんど過剰なまでに盛り込まれた彼の音楽の中に見出されるはずです。実際、先述のアンドレ・カンプラは、ラモーのこの作品を聴いて、「ここには10のオペラが書けるほどの音楽がつめこまれている」と指摘しています。本公演では、皆様にこの音楽の豊かさを存分に味わっていただくべく、《イポリートとアリシ》初版(諸々の削除、訂正が加えられる前の版)に基づく演奏を試みます。

50歳での処女作――オペラ作曲までのラモーの道のり

 ところで、《イポリートとアリシ》の音楽の豊かさを語るためには、ラモーの個人史にもひとたび触れておかなければなりません。というのも、ラモーの最初のオペラである《イポリートとアリシ》が書かれ、初演されたのは、彼が 50歳の誕生日を迎えてからのことであったからです。すでにこの時、ラモーは、音楽理論家としての地位を固めていました。また作曲家としても、クラヴサン曲を始めとして数々の作品をすでに世に問うていました。その彼が、50歳にして初めてオペラを作曲するに至ったのには、いくつかの理由があります。

 一つは、台本の入手に関する問題です。《イポリートとアリシ》初演の5年前、 1727年にはすでに、ラモーはオペラ作曲を志し、台本作家ウダール・ド・ラ・モットに台本提供を依頼しています。しかし、他の分野での活躍はともかく、オペラに関してはいわば「新人」であったラモーに対し、ウダール・ド・ラ・モットは台本提供を断りました。そういった経験もあり、ラモーのオペラ作曲は、結局、1730年代にまで持ち越されてしまったのです。

 しかし、より重要なのは、ラモーの内的なモチベーションの問題でしょう。《イポリートとアリシ》作曲をふりかえって、ラモー自身が次のように述べています。「私は 12歳の時から舞台作品に興味を持ってきた。だが、50歳になってようやく、オペラ座のために仕事をすることとなった。もっとも、その時点では、自分にオペラを書く力があるなどとは思っていなかったのだが。しかし、私はあえて一歩を踏み出した。幸運にも恵まれ、先へと進み続けたのだ。」つまり、ラモーがオペラを作曲するためには、自らの内部でオペラに対する思いを長い時間醸成し続けることが必要だったのです。40年近くもの内的な醸成の末に実を結んだその作品――これこそが《イポリートとアリシ》に他なりません。《イポリートとアリシ》は、ラモーの処女作オペラです。しかしそれは、作曲家が長いキャリアの末に満を持して手がけた、成熟した作品なのです。

台本と音楽

  時の人気台本作家ペルグラン師の台本による《イポリートとアリシ》。そのストーリーの範となっているのは、エウリピデスの《ヒッポリュトゥス》、セネカの《パエドラ》です。また、より時代的に近いところでは、フランス 17世紀の大悲劇作家ジャン・ラシーヌも《フェードル》という作品を作っています。もちろん、ペルグラン師は、《イポリートとアリシ》の台本を作成するにあたり、このラシーヌの作品も大いに参考にしています。

 これらの作品のうち、今日もっともよく知られているのは、恐らくラシーヌの《フェードル》でしょう。英雄テゼの後妻フェードルが、義理の息子イポリートに対して道ならぬ恋心を抱き、やがては破滅していく――神話の枠組みの中で展開されながらも、人間の恋の情念を描ききった作品として、《フェードル》は今日なお人々に読みつがれています。

 さて、ペルグラン師がこの《フェードル》を参考にしたこともあり、オペラ《イポリートとアリシ》のストーリーの基本的な運びは、《フェードル》と同一のものとなっています。ただし、《イポリートとアリシ》のストーリーは、オペラ台本であることをより強く意識した作りになっていると言えるでしょう。すなわち、《フェードル》ほど情念劇の部分を強調せず、むしろ神話の神々がより多く介入できるように構成されているのです(当時のオペラにおいて「超自然性」は重要な一要素でありました)。例えば、プロローグや、第2幕の地獄の場面などにはそういった意図が強く反映されています。しかも、そのような部分に、音楽的な聴きどころが多く含まれていることも忘れてはなりません(第2幕第5場「運命の3女神の三重唱」などは、あまりに音楽的に凝りすぎたために、当時の歌手たちが歌えず、結局は削除されてしまうことになりました。ただし、本公演ではこの三重唱も上演しますので、お楽しみに!)。

 さらに、当時のオペラにこれまた必須の要素であった「ディヴェルティスマン」にも、音楽的な聴きどころがあふれています。「ディヴェルティスマン」とは、主軸となるストーリーの展開が一時的に中断する部分です。そしてそこで、時に副次的なストーリーを従えながら、歌や踊りが繰り広げられていくのです。観客を楽しませることを主眼とするこの部分、耳に快い旋律がいくつも現れてくるのは当然と言えるかもしれません。第3幕第8場でテゼの帰還を祝う人々によって演じられるディヴェルティスマン、イポリートとアリシが結ばれ、幸福のうちに展開する(《イポリートとアリシ》の終結部はハッピー・エンドになっています)第5幕第8場のディヴェルティスマンなど、流れてくる音楽に自然に身をゆだねてお楽しみいただきたいところです。

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